其の一へ || 其の二へ


 子供が大きくなるにつれ、家にも何か子供の成長と同じくするような植木がほしいと思うようになってきた。しかし、共働きで昼間留守が多く、また朝は忙しいので毎日の水やりに自信がない。手間がかからない丈夫な植木はないか? と考えた。それなら草花ではなく、木のほうがいい。しかしただ葉だけの木ではつまらない。花が咲くもののほうがいい。花が咲いたら実がなるもののほうがもっと楽しみが多いのではないか? と考えた。しかし、都会のベランダで力強く育ってくれる木なんてあるだろうか・・・

 そんなことを考えていた5月の土曜日に埼玉県川口市のグリーンセンターにでかけた。そこで「さくらんぼの木」を見つけた。小学校低学年の児童くらいの丈の木だった。すでに花と実の季節は終わっていたが、新緑のまぶしい木だった。

 さくらんぼなんて都会の真ん中でしかも鉢植えで育つはずはないだろうと思ったが店の人に聞いてみた。
「大丈夫だよ。その木は今年もこないだまで実つけてたんだから。」
「それって食べられるの?」
「そりゃぁ さくらんぼだから食べられるさぁ。」
 半信半疑だったが、そのさくらんぼの木を買って帰ることにした。横にすると思ったより大きな木で、やっと車に積み込んだ。

 秋になると紅葉して葉が全部落ちた。特別な面倒も見てやらず西側のベランダに置いたままにしておいた。たまに台風などで強い風が吹くと鉢ごと倒れたりしていた。春になると何とその木の枝から緑の芽がでてきた。すごい!すごい! 見る見るうちに花の蕾になり、全国の桜の開花予想日よりはるかに早い3月中に花が満開となった。自分の家に桜の花が咲くなんて、とてもうれしい。窓からベランダの桜でお花見気分。

 そこで植木に詳しい知人に
「去年買ったさくらんぼの木が咲いたんだよ!」
 と自慢げに話した。
「そのベランダには鳥とか虫とか来る?」
「さぁぁ。そんなもの来ないと思うよ。」
「じゃぁ、やわらかい筆かなんかを買ってきて人工授粉してやらないと実がなんないわよ。」
 と教えてくれた。そうかぁ・・・なるほど。そうだなぁ。そういえば小学生の頃にそういうことも習ったのに、まったく忘れていた。彼女に花が咲いた自慢をしなかったら、きっと気づかなかっただろう。これが都会育ちを象徴しているように思った。そのことを主人に話すとさっそく文房具屋で筆を買ってきた。朝起きるとベランダに出てなにやらやっている。そんなことで大丈夫かな?とは思っていたが・・・。

 4月に入り暖かくなるとさくらんぼの木には緑の堅い実がいくつもできているではないか。すごい!すごい! こんなのはじめて見た。緑色の堅い実はやがて赤くなり、ほんとうにさくらんぼがわが家にできた。子供も大喜び。「いつ食べられる?」「もう食べられる?」毎日のようにさくらんぼの木を眺め、取って食べることを楽しみにしている。ずいぶん実が大きくなって、もうそろそろ食べられるかも・・・。「じゃぁ。今度試しに取って食べてみよう!」とみんなで協議をして決めた。ところが次の朝。「あれ?」チッチッチッチッチッ!なんかさくらんぼが少なくなったみたい。
「あれ?あぁぁぁぁ!」
 鳥だ!小鳥がベランダに来てる。
「あぁぁ。さくらんぼを食べてる!」
「このままだと今日1日で全部なくなっちゃうよ!」
 慌てて大きな鉢を主人と二人で持ち上げて家の中に入れた。1年たってずいぶん木は成長したようだ。しかたなくその日はさくらんぼの木を家の中に締まって出勤した。その晩急いで帰ってきて近くの多慶屋(ディスカウント・ショップ)に行き、園芸用の網を買ってきた。そして、その夜さくらんぼの木をベランダに戻してやり、網で被ってやる工夫をした。これで大丈夫。しかし、1日鉢を家に入れたものだから家の中にアリンコが侵入してしまった。今度はあり退治。

 とにかくわが家で少しのさくらんぼが収穫され、みんな満足で食べた春の日の話だった。今年もさくらの花が咲いた。また、実がなることだろう。今年は実がなったらすぐに網をかけよう。さくらんぼの木はまた成長したようだ。普段何の面倒も見てやらないベランダのさくらんぼだが気がつくと実をならせていて、とても愛着のわく木となった。まるで、気がつくとわが家の一員となり、いつの間にこんなに大きくなったかと思わせるわが娘とおんなじだと感じた。

1998.3.26 Tama-Chan

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