其の一へ || 其の三へ


 3年前の5月にはじめて「お富士さんの植木市」に家族ででかけた。それまでは、町のポスターなどでそのような催しがあることは知っていたが実際に行ってみたことはなかった。植木市というから縁日の植木屋さんが数件並ぶ程度かと思っていたら、道々の路地にまでたくさんの植木屋さんが並び、それぞれの露店ごとに扱う草花・草木の種類が違っていて実に見応えがあり、多くの人出で賑わっていて驚いたものだった。

 植木市の草花を見ていると自然と忘れていた子供の頃の記憶が蘇ってくるものだ。
「あっ!この花いつも遊んでいたあの公園に咲いていた!」
「この花はずっと昔うちにもあったっけ。きれいな花が咲いたら植木鉢ごと盗まれちゃったことがあったなぁ。」
「この木はいつもお参りに行くお寺にあったね。」
「この木は学校の校庭にもあったよね!」
 等々・・・すると主人が
「昔子供のころに住んでいた家の庭にうすら梅の木があって、兄貴と木登りして遊んだんだよ。こんな大きくて赤い実がなるんだ。その実は食べられるんだよ。」
 となつかしそうに言った。

 主人の両親は主人が幼い頃に離婚をし、主人の兄弟は離ればなれに親戚の家に預けられ別々に育った。私はそのゆすら梅の話を聞いた時にその木を買ってあげようと決めた。見たことのないゆすら梅に主人の思い出がある。幼い頃、家族で過ごした思い出の薄い主人になつかしい木をプレゼントしてあげたいと考えたのだ。

 それからその木を探して植木市を歩いた。季節的にはもう実は落ちてしまっている時期だから木は葉だけのはずだと主人は言った。
「ねぇ。どんな葉っぱなの?」
一生懸命探そうと思うが、何せ見たことのない木だし、私にとってはそのような木の名前を聞いたのも初めてだった。なんか「うすら・・・」なんていうとあんまりよいイメージの名前ではないように思えてしまった。
「うぅぅぅん。こんな感じかなぁ。でもうちにあったのは庭に植わっていてすごく大きかったんだよ。」
 植木屋さんにも聞いてみる。
「うすら梅ありますかぁ。」
 なかなか見つからない。
「もういいよ。またどこかで見つけた時に買えばいいじゃない。」
と主人が半ばあきらめて言い始めていたら、りっぱなゆすら梅を置いている店があったのだ。主人はきっと再会の思いを感じたことだろう。
「このうすら梅いくら?」
 確か6千円ほどの値がついていた。
「まぁ5千円だなぁ」
 と植木屋さん。結構高いなぁと内心思う。
「じゃこの沈丁花も買うからいくら?」
 と交渉の末、なつかしのゆすら梅を4千5百円で手に入れて帰ってきた。形のよい木だった。すやきの大きな植木鉢を買ってきて植えてやった。秋になると葉は全部枯れて落ち、枝だけとなった。

 春になりチューリップの葉もぐんぐん伸びて来る頃になってもいっこうにゆすら梅の枝からは芽らしきものがでてこない。いつ頃芽がでるんだろう。公園の木々もほとんど芽を出している。しかし、わが家のゆすら梅は全部枝だけだ。
「このうすら梅、うすらぼけなんじゃないの?」
 なんてつい悪口もでてしまう。私はまだ1度も見たことのない主人の思い出のゆすら梅にどんな実がなるのか楽しみにしていたが、とうとう初夏になっても木は枝のままだった。主人の思い入れが強すぎたのだろうか?木は枯れてしまったようだ。それっきり木には芽がでることはなかった。主人はかなり残念に思ったに違いないがそれを口には出して言わなかった。

 その年の植木市の時に私は必ずまたゆすら梅を見つけて買ってあげようと決心した。その年にも去年と同じ店でゆすら梅を売っていた。芽がでなかったことを訴えると水をやらなかったんじゃないか。とか枝を切ってみたかとか言われた。それ以上は話す気がなくなった。 別の店を探そう。そしてまたその年もゆすら梅を求めて植木市を歩いた。すると露店のはずれの店にゆすら梅と書いた木を見つけた。しかし去年買った木とは全然姿の違う木だ。もちろん葉っぱの形も違っていた。
「おばさん。これ本当にゆすら梅の木?」
 と聞くと
「そうだよ。今年はゆすら梅は人気があるんだよ。ほら、NHKの朝の連続ドラマの原作が『ゆすら梅』っていうらしいんだよ。これはいい木だよ。」
 と教えてくれた。去年買ったゆすら梅は背丈が低く横に丸く広がったような木だったが、この木は高さがあり枝もすぅぅと伸びていた。じゃぁ去年買ったのは何の木だったの? 別の種類のゆすら梅? 主人は
「これだよ!そうだよ!こういう木だった!」
 と言って喜んだ。そのおばさんからわが家にとって2本目のゆすら梅を買って家に帰った。

 夏が過ぎ秋が来て、ゆすら梅の木の葉も全部落ちてしまった。その秋に主人の父親が亡くなった。このゆすら梅の木もこのまま・・・という思いがよぎる。あたたかくなり最初にベランダのさくらんぼの木に芽が出始めた。クロッカスの花が咲いた。しかし、ゆすら梅には変化がない。うちにはゆすら梅が育たないのか・・・という思いもしてきた。 隣に置いてあるさくらんぼの木はすでに花が咲き始めた。ふと見るとゆすら梅の枝からもたくさんの芽がでているではないか。やった!今度は冬を越すことができたんだ。私は心からほっとした。家族みんなで日に日に増えていく緑の芽を見て喜んでいる。初夏には赤い実をつけることだろう。そして、私たちの娘の心の中にも主人と同じ「うちにうゆら梅の木があった。」という思い出を残すことができるだろう。

1998.3.20 Tama-Chan

追記:主人は「ゆすら梅」のことを「うすら梅」と覚えていたようで、最近まで私も「うすら梅」だと勘違いしていた。

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