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 私は中学校時代から今日まで25年間同じ駅を利用して通学通勤をしている。従って25年間駅までの数分間の同じ道のりを毎日歩いて町々の風景が少しづつ変わっているのを見てきたように思う。途中にはお寺や公園があり、ずっと昔からある木も毎日横目で見て通り過ぎてきた。

 毎年、沈丁花(じんちょうげ)の花の香りがどこからともなくして来るころになると、「あぁそろそろ冬も終わりなんだなぁ」と季節を感じる。私は沈丁花の香りが子供のころから好きだった。沈丁花の香りは不思議なもので、道を歩いていると、どこからともなくふぅぅぅ〜と薫ってくる。「あれ?どこに咲いているんだろう?」と探してもすぐそばには見あたらなかったりする。

「あぁぁこんなところに咲いているんだぁ」と見つけて、うれしくなり顔を近づけてみても、さっきのような香りを感じなかったりする。花に近づいても特別強い香りを放っているわけでもない。 道を歩いていてふぅぅ〜っと自分の後を着いて薫ってくる沈丁花の香り・・・そのような存在感が私は好きだ。

 駅までの横道にわりと大きな枇杷(びわ)の木が庭にあるお宅の前を通る。お庭の塀の上から枇杷の木の枝が垂れ下がるようになっている。初夏を迎えるころになるとその枇杷の木に実が沢山なる。しかしここ最近気が付いたのだが、枇杷という木は毎年実がなるわけではないらしい。確か昨年は実を見なかったような気がする。

 草木に詳しい人に聞いてみたら、枇杷が実をつけるのは1年おきだと言う。なんか不思議なもんだ。それから「枇杷の木は家のそばには植えないほうがいいと言われるのよね」と言った。「なんで?」と聞くと理由は知らないと言った。

 幼い頃近くにバレエ教室があって数年間バレエを習いに行っていた。大した才能もなかったので、数年で辞めてしまったがそのバレエ教室で発表会があった。近所の同年齢の子供たち数人と発表会用のバレエの練習を散々させられた。その時に踊った楽曲が「枇杷の木」の歌だった。枇杷色の衣装を着て子供たちが重なり合って枇杷が熟れている様子を表現して踊っているモノクロの写真が何枚か残っている。「枇杷はやさしい木の実だから、抱っこし合って熟れている・・・」というとてもやさしい歌い出しをよく覚えている。しかし、その後の歌詞が正確に思い出せずにいる。「やさしい かあさんの○○みたいなぁ・・」とか「○○のあかちゃんの・・・」というような歌詞があったはずだが?

 あれから何十年もたってしまったが、それ以来その「枇杷の木」の歌を聞いたことがない。しかし、あの枇杷の木のあるお宅の前を通ると必ずその歌のフレーズを心の中で歌っている。もう一度あの歌の全曲を聴いてみたい思いがいつも沸いてくる。

 わが家のベランダに置いた沈丁花の花ももうすぐ満開になる。窓を開けて置くと春の風とともに沈丁花の香りが部屋に入ってくることだろう。そしてしばらくするとあのお宅の枇杷の木が今年はたくさん実をつけることだろう。

1998.3.18 Tama-Chan

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