私は三十八年前の六月に隅田川畔の病院で生まれた。もちろん新生児だったので、その時のことは覚えている由もないはずだが、何となく母に抱かれて窓から大きくて真っ黒な川を見たようなイメージがある。先日雑誌で隅田川のそばの両国に「江戸遊」というクアハウスができたというレポートを読んで早速今年87歳になった祖母と家族をさそい、行ってみた。

 場所は両国にある「江戸東京博物館」のそばで五階建てのビルになったクアハウスだった。ビルの1階は昔の銭湯のように大きく「江戸遊」の文字が書かれたのれんがかかっている。中に入ると下足箱ではなく、鍵付きロッカー式の靴入れが並び、ロビーとフロントがあった。

 そこで、チケットを買って更衣室用ロッカーの鍵を貰う。男女の風呂はフロアー別になっていて、4階が女性専用、2階が男性専用、3階が男女兼用フロアーとなっていた。マッサージルームやお食事処、カラオケルームや宴会場、全席テレビ付きのリラクゼーションルームも完備されていた。 風呂は数種類あり、温泉湯、ハーブ湯、檜大浴槽、バイブラバス、ジェットバス、ドライサウナ、ミストサウナ、水風呂と揃っていた。五歳になる娘は初めてミストサウナたるものに入り、上から小さい霧状の水滴が降ってきて、頭や身体につくと水泡となり産毛が真っ白になっていくのを見てたいへん喜んだ。

 祖母は、いろいろな湯につかり、身体が軽くなったといって気持ちよさそうにしていた。明治生まれの芯の強さを感じさせる祖母はいまだひとり暮らしをしている。この祖母とは同居していないので、一緒に風呂に入ることは滅多になかったが、ふっと子供の頃に、このように祖母と風呂に入った日のことを思い出した。たぶん今から30年くらい前だと思うが以前蔵前に国技館があった頃、そのとなりに「隅田川温泉」というのがあったと思う。小さい頃の記憶なので正しい名前であるか定かではないが、ともかく大きな風呂屋があった。

 我が家は浅草近くの下町で家業の椅子張加工業を営んでいるが、私が子供の頃の昭和三十年代後半から四十年代は、集団就職で若い青年が近郊から上京してきており、我が家でも数人のお兄ちゃん、たぶん二十代前半の若者が、戦後建てた母屋の隣に継ぎ足して建てた工場の二階に住み込みし働いていた。また、お手伝いのお姉さんと呼んでいたが2〜3人の若い女性に住み込みでまかないを手伝ってもらっていた。

 そのような大家族というわけで私が生まれた時から我が家には風呂があったが近所の家庭では、まだ風呂がない家も少なくなかった。毎日家の風呂は入れるが、たまには大きな風呂に行ってみたいと思ったのだろうか。母と祖母で子供たちを連れて銭湯にでかけたこともあったが、私には年子の妹が二人おり、家庭はさほど貧しくはなかったと思うが、両親は倹約家で外で食事をするなどというお金は使わない人だった。だから、銭湯に行ってお金を払って風呂に入るということはきっと贅沢なことだったと思う。

 それ故に「隅田川温泉」に行った時のことがとても印象に残っているのだと思うが「隅田川温泉」の浴室は中に入るとすごい湯煙で室中が真っ白。前がまったく見えなくて、おぼろげに広い湯船が見えたという光景を覚えている。湯はまるで隅田川の水を沸かしたのではないかと思うような真っ黒な湯だった。たぶん地下を掘って沸きだした鉱泉だったのだろう。

 祖母が背中を流してくれた記憶がある。当時の祖母はまだ57歳だから若いおばあちゃんだったことだろう。孫の小さい背中を何度も何度もさすってくれた。私は背中をさすってもらうことがすごく気持ちよく、なつかしい感覚でうとうと眠くなった覚えがある。祖母の膝に仰向けに寝て頭を洗って貰った。今のようにシャワーなどなく、洗面器にお湯をくんでザァーと頭から何度もかけられた。当時シャンプーはあったと思うがリンスはまだ特別なものだったのではないだろうか。シャンプーだって高価だったのか、「子供は石鹸でいいんだ」と言われて四角い石鹸で頭をゴリゴリやられて髪を洗って貰っていたものだ。今でもその感覚を覚えている。

 この「隅田川温泉」も蔵前国技館が姿を消す前になくなっていた。次に私がこの地に行ったのは、20年前就職し会社の懇親会で「夜のお江戸コース」というはとバスツアーに参加した時だった。これは夕方からのツアーで、はじめに今はなき有楽町の「日劇ミュージックホール」でショーダンスを見て、次にこの蔵前の元「隅田川温泉」のあったところにできた「ホテルマタイ」(これも昔の記憶なので名称が定かではないが)で天ぷら定食の夕食をし、その後浅草の寄席を聞いて最後に吉原の松葉屋で花魁ショーを見物するコースだった。

 今ではその「ホテルマタイ」も「日劇ミュージックホール」もなくなり、「国技館」も蔵前から元の両国(場所は元の国技館の位置とは異なるが)に移っているが、そのそばに現代の温泉とも言えるクアハウスがある。今の時代家庭に風呂があるのがあたり前となっているが、現代のの贅沢として家族でクアハウスに出かけてくつろぎのひとときを味わっている。

 時代の移り変わりとともに生活も街も変わり、人も歳をとり、30年前は娘三人を連れて「隅田川温泉」に行った母はおばあちゃんとなり、祖母は曾孫に手を引かれて「クアハウス」にでかけている。これから数十年たった時代には、今ミストサウナを喜んでいるこの5歳の娘の心の中に家族で行ったこのクアハウスの光景も小さな思い出として残っていることだろう。

1998/1 Tama-Chan

追記:当エッセイを書くにあたり、台東図書館に行き20年前と30年前の台東区の地図を確認したところ、蔵前橋のたもとに20年前は「ホテルマタイ」が30年前には「隅田川温泉」があったことを確認できた。


もどる