街路樹の銀杏の木がとてもきれいなまっ黄色になり、きらきら輝いていたと思ったらみるみる風に舞って道路の上に黄色い絨毯をひいていった。私の会社の窓のすぐ前にそんな銀杏の木がある。ちょうどビルの2階の角の席で目の前に木のてっぺんが見える。人事異動で今年の1月にこの席に来た。その時はこの木は枝だけで何も無い状態だった。

 ちょうど4月の終わり頃になった初夏にさしかかるころに何もなかった木の枝から小さい緑の銀杏の葉がでてきた。本当に植物の芽のように小さい葉っぱだが、形は間違えなく銀杏の形をしていた。

 なんてかわいいんだろう。まるで、生まれたばかりの子供に5本の指がちゃんとあって爪まで生えているのと同じように、まったく銀杏の葉っぱと同じ形の小さい葉っぱがたくさんたくさん出てきた。

 こんなに間近に銀杏の木を眺めたことがなかった。緑の銀杏の葉っぱは、みるみるうちに大きくなって、とてもすばらしい新緑の季節を運んできてくれた。

 銀杏は東京都の木に指定されている。

 わが家のお寺のお墓の前に大きな銀杏の木がある。子供のころから晩秋にお墓参りに行くとたくさんぎんなんが落ちていて「クサイ!クサイ!」と言っていた。でもその木が自分の家のお墓の目印にもなっていた。

 台東区側から隅田川の蔵前橋を渡ったところに「震災記念堂」がある。関東大震災の時にたくさんの人がここに逃げ込んで火災に遭い、亡くなった工場の跡地を慰霊地として公園にしてある。記念堂の中には大震災の時の地獄絵のような光景が大きな絵に描かれていた。

 小学校の写生会で低学年の頃にこの「震災記念堂」に行ったことがある。私はさして絵もうまくなかったので、写生会の前夜に父に鳥の絵の描き方を教わった。父も別に絵がうまいわけでもなく、「鳥は数字の2を書いて目と嘴と足をつけりゃいいんだ。」程度のことを習い、練習したように覚えている。

 「震災記念堂」には何本もの銀杏の並木があり、写生会の時は黄色に色づいてとてもきれいだった。その木の下には平和の象徴である鳩がたくさんいた。わたしは、画用紙にまっ黄色に色づいた銀杏並木を書き、その下に昨晩父から教えて貰った数字の2を基本にした鳩を何羽か書いた。

 どうしたことかそんな絵が小学校の絵のコンクールで金賞をいただいた。学校の講堂に衝立をたてて、写生会の絵が飾られた。自分の絵の下に金色の折り紙が金賞の目印に貼られていた。

 しかし、特別に絵の才能があったわけではなく、まぐれとでも言うところで、それ以降絵がうまくなるどころではなく、その後は「へのへのもへじ」くらいしか書けないような今日この頃だ。娘に「あんぱんマンを書いて!」などとせがまれるとたいへん困ってしまう。私はあの晩に父に教えてもらった鳥の絵を描いてやるのが精一杯の能力で、そこで絵に関する才能は止まってしまったようだ。

 そんな銀杏の木の思い出を想い出していたら、数日後「あっ!」っと気がつくと会社の目の前の銀杏の木が丸裸になっていた。1日にしてあの黄色い葉っぱが風に舞ってしまったのだ。

 しかし、何枚かの葉が木にぶら下がり風にゆらゆらしている。「最後の一葉」の物語を思い出した。

 また、春がくると小さい緑の葉が木の枝から出てくることだろう。こんなにじっくり木々の1年を間近に見て暮らしたのははじめてのことだった。

Tama-Chan1 997.12.19


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