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その2−札幌で出会った三社祭り−


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 7年くらい前の夏に友人とふたりで札幌旅行に出かけた。

 私はあの御巣鷹山の飛行機墜落事故以来飛行機に乗るのがキライになった。日本国内列車で行けるところは列車で行こうというのが私の信念になっている。そんな理由でこの北海道旅行は、私は列車で友人飛行機でという自由な行程の旅になった。宿泊するホテルは、同じだが見たい場所が違えば別行動で、同じところに行きたいときは一緒に行動するという気軽な旅行の計画を立てて行った。

 私は午前7時に上野駅から盛岡行きの新幹線に乗り込んだ。午前11時ごろに盛岡に到着。そこで特急に乗り換え青森駅にはお昼すぎに着いた。青森で帆立釜飯弁当を買って、青函トンネルを通る快速海峡に乗り込んだ。ちょうどその頃飛行機組の友人は羽田を飛び立ったころであった。私は初めての海底トンネルということで、ちょっと興味があった。しかし、途中の海底駅では切符を持っている人以外はその駅に降りることはできなかった。数人の人がトンネルの中に降りて行った。別に地下鉄の乗っているという感じだった。

 私が海底トンネルを通過しているころに友人はその何千メートルか上空を通り越して行った。そして私が函館に着いたころには千歳空港に降り立っていた。

 そのころ私は函館に到着した。午後3時すぎだったと思う。そこからまた、私は札幌行きの特急に乗り換えた。ふたりが待ち合わせをしているホテルのある千歳空港駅に着いたのは、日の暮れた午後7時近くだった。千歳空港駅の改札で切符を見せた時は「あんたどっから来たの」という顔をされたのを覚えている。

 友人はとっくのとうに到着して時間をもて余し、近くの川にサケの産卵を見にでかけたあとにホテルに戻りひとっ風呂あびてくつろいでいた。やっぱり北海道は遠い、飛行機は速いということを実感した瞬間だった。しかし、列車の旅もストーリーがあってイイゾ!!と私は言いたい。

 そんな私たちが札幌のすすきので「おでんの一平」という店に行った。当地ではおいしいものを食べさせてくれる店と紹介されていた。粋な藍地ののれんをくぐって中にはいると、カウンターがある居酒屋風のお店だった。ふたりでカウンターに座った。自分たちの好きなおでん種をいくつか食べた。でも私たちはこの後「せっかく札幌に来たのだからサッポロラーメンを食べに行く」予定だったので、あまりたくさん注文する気はなかった。

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 フッとお店の奥を見ると大きな御輿のポスターが貼ってある。札幌にも御輿をかつぐお祭があるのかなと見てみると三社祭のポスターだった。よく見ると店の名前の入った手長提灯もかざってあった。

 思わずご主人に「なんで三社祭りのポスターがあるんですか?」と聞いてみた。なんとご主人は大の祭好きだったのだ。毎年三社祭には奥様にあきれられながらも、朝一番の飛行機で東京に行き、御輿をかついで、その日の最終便で札幌に戻り、次の日の仕込みをし、店は休まず営業しているとのこと。私が鳥越神社の氏子だと話すと急にご主人と私たちの距離が縮まった。そこから、祭り談義がはじまり、御輿談義へと話が膨らんでいった。こんなに遠い北海道からも三社祭に毎年参加してくれる。あのリズムがあの雰囲気があのお囃子の音が身体の中から沸いてくる思いが私たちにも通じるものがあった。

 ご主人は酒をすすめてくれたけれど、あいにくふたりともお酒は飲めなかった。そして、北海道でも手に入りにくいというものをいろいろすすめてくれた。「せっかく来たんだからおいしいものを食べていってくれ!」ということだ。サケの卵をイクラというが、マスのタマゴとやらを出してくれた。ところが、私は生物がまるっきり苦手だった。友人は大喜びで賞味させていただいた。いろいろ出してくださるので、サッポロラーメンが入る予定のお腹がいっぱいになってしまった。ご主人は12月のお酉様にも毎年必ず札幌から来られて熊手を買われると話してくれた。ほんとうに粋な方だと思った。来年は三社祭りと鳥越祭りにも来るとご主人は言った。私は鳥越祭りの半天は確保しておくと約束をして店をでた。札幌のすすきので東京の下町の粋さを感じさせてくれる空間に出会った気がした。

 私はその後東京に帰ってから鳥越祭りの提灯を札幌のご主人に送ってあげた。たいへん喜んで店に飾ってくれたようだ。お礼に地元名産の高級な酒粕に漬けたようなお魚を送ってくださった。私は江戸っ子なのに生物が苦手だ。ご主人ゴメンナサイ!

 あれから7年、私が札幌を訪ねる機会はないが、ご主人はきっと今年も三社祭りで御輿をかついでいることと思う。

1997.5.15byTama-chan

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