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その1−三社祭り−


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 4月の連休がはじまると江戸っ子は祭りの気分でソワソワしてくる。 天気がよいと祭りの日もこんな天気になればいいのにと考える。

 祭りの準備が町々、家々ではじめられる。

台東区内で一番早い夏祭りはたぶん下谷神社のお祭りだったと思う。

 下谷神社を皮切りに三社祭、神田明神、小野照崎神社、五條天神、湯島天神、第六天(榊 神社)、鳥越神社と続く。5月から6月の土曜、日曜は毎週どこかで必ず祭りが行われ御 輿(みこし)がでている。

 やっぱり江戸っ子の私の父は5月の日曜日になると自転車に私の娘(孫)を乗せて各町の祭りを見せて歩く。おじいちゃん(父)にとって一番幸せな時なんじゃないかと私は思う。下町のおじいちゃんにとって自分の孫を抱いて祭りを見せて自慢できるくらい幸せなこと はないのではないかと思う。

私の娘も2歳の頃から祭りに参加していた。御輿が大好きで御輿を見たら後をついて歩く ものと思っている。言葉も話さないうちからあの御輿の「セイヤ!セイヤ!」というかけ 声を聞くと身体をリズムにあわせてゆすっていた。頭の上で手拍子をして喜んだ。御輿の後をついて歩かされてかなり遠くまで行ってしまい、寝てしまった娘をおぶって帰ってき たこともある。

 私もあの御輿を担ぐリズムが好きだ。きっと子供の頃から身体のシンが覚えているリズムなんじゃないかと思う。

 私の住まいは鳥越神社の氏子だ。鳥越の夜祭として有名だが、やはり自分の町の祭りが一番と思っているせいか、あまり三社祭は見に行ったことがなかった。三社祭は、あまりにも有名で地方からもたくさん見物の人が押し寄せ、何がなんだかわからないというような気がしていた。

 娘が2歳の時に主人と三人で三社祭に出かけてみた。昼間は人混みがすごいだろうと思い、土曜日の早朝に朝食もとらずに浅草神社に向かった。浅草神社は嵐の前の静けさという感 じで社務所に御輿が、また神酒所(みきしょ)の前に山車(だし)が飾ってあった。御輿と山車は今日の本番をを待っているようだった。山車に娘を乗せて記念写真を撮った。

 天気がよい朝だった。露天の人たちは縁日の準備をしていた。まだ始まっていない縁日を通って浅草寺の前に行った。私たちにとっては地元だから遊びに来ても浅草寺で写真などは撮ったことがなかった。

 するとひとりの初老のおじいさんが寄ってきて「三人で撮ってあげよう。ここに並ぶとちょうどいい。」と言ってカメラを私の手から取った。いかにも下町の散歩途中のおじいさ んという感じだったが、私たちは三人で浅草寺の正面で写真を撮ってもらった。

 おじいさんは、浅草の観光組合の役員さんのような感じで得意そうに色々説明してくれた。私たちのような若いもんが浅草に来てくれるのがすごくうれしいようだった。私たちはお のぼりさんのように見えたのかもしれない。とても「地元のもんだからそんなことは知っ ている」とは言えなくて「ヘェー!」と言って説明に調子を合わせて聞いていた。

 「ここんとこずっと行くといいところがあるから教えてあげるよ。あんたたちみたいな親子で行くといいんだよ。子供がほんと喜ぶよ。むかしっからある遊園地なんだ。まぁずい ぶんむかしっとは変わっちゃてるけどさ。楽しいところだよ。花やしきっていうんだけど。ここんとこちょっと行きゃぁ観覧車が見えるからさ。行くといいよ。」と言ってカメラを 返してくれた。ほんとは教えたくない秘密のいいところを私達にだけ教えてあげるよとい う言い方だった。

 お節介なおじいさんともとれるが子供の頃からの浅草っ子が年をとっておじいさんになったという感じだ。もしかしたらすごく偉い方なのかもしれない。昔は浅草の役者さんだったというような粋な感じもした。

 「ありがとうございました。」と言って別れたが、あのおじいさんはああやって自分が育った浅草を偲んでいるように思えた。浅草のことを聞いたら知りたいことの10倍位の話をしてくれそうだ。

 その時に撮っていただいた写真を見るとまるで遠くの浅草という町に観光に行った時に撮った写真のような思い出が私の中に残った。そして、あのいかにも浅草育ちの江戸っ子が 年をとっておじいさんなり、浅草を根っから愛しているという感じのおじいさんに出会っ たことがとてもなつかしい思い出となった。

 その年の三社祭も盛大に行われた。こんな浅草が一番と自慢する人たちが三社祭を支えているんだなと思った。

1997.5.3 by Tama-chan

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