第20回 浅草で拾ったメディアの紹介 [97/04/15]

【拾った場所】リブロ浅草
【タイトル】「東京は、秋」荒木経惟・陽子著

またもや、荒木経惟・陽子による写真集だ。

東京の昔(’70年代)の写真がたくさん並んでいる。もちろん白黒だ。2人して、夫が以前に撮影した写真についての感覚的なコメントをつけている。

例えばそこには、新宿西口のすぐのドヤドヤッとした街がある。二光(今はスタジオアルタ)の横の富士銀行のシャッターの、リアルな富士山がある。上野では歩行者天国の、ナガフジの前の車道に都電のレールがある。「酒悦」の看板に混じってトリスバーの文字がある。銀座には王冠のような日劇がある。遠くには(今もある)有楽町ビルヂングが見える。銀座松屋もMATSUYAではなく、ツルのマークである。

ノスタルジィと言ってしまえばそれまでだ。形あるものは(昔の東劇のように)次々と壊されてゆく。気がついたらマクドナルドができてたとか、コーヒーチェーンのブルーバックスができてたりとかする。「ここは前には何があったんだっけ」などと考えてみたりもする。でもなかなか思い出せない。夢のように、見た瞬間は強い印象があるのに気がつくとスコーンと忘れてしまう。

そんなように、現実はどんどん進行してゆく。消え去るものが次々と現れ、消えてはまた現れてゆく。そして残されたものは成仏できない無縁仏がごとく、そこでの違和感を醸し出すのだ。だから、昔訪れた所を今いってみたりして、以前に在った所に同じものがイメージしたそのままの形のまま在ったりすると何かおもはゆい気持ちがして、いごこち悪い。笑っちゃうのだ。

笑っちゃうのだけれど、昔の写真はあらためてみると「懐かしさ」がぺたっ、とはりついていてとれないのだ。「懐かしい」は「壊す」という字に似ている。


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