第17回 浅草で拾ったメディアの紹介 [97/02/04]

【拾った場所】リブロ浅草
【タイトル】「東京日和」荒木経惟・陽子

 第16回でちょっと紹介した、今度の竹中直人監督作品の原作だ。前半を妻・荒木陽子(またもや高校の先輩!)のエッセイ、後半を夫・荒木経惟の写真日記で綴っている。そしてこれが荒木陽子の絶筆となってしまったものである。エッセイは、夫とのさまざまな散歩紀行(夢の島の植物園、月島界隈、入谷のあさがお市)の道行き。写真日記は妻の亡くなった後の淋しさ漂う谷中〜鴬谷〜上野あたりの日常・非日常を追っている。
 かつては三ノ輪(荒木経惟の実家もそうであった)に住んでおり今は世田谷の豪徳寺に住む二人にとって、訪れた東京は確かに見慣れた東京であり、かつてそこにいた”地元の”東京なのだけれど、二人にとってそれらの東京は「ダメなんだよ、俺達はもうヨソモンだろ、ワザワザ地下鉄に乗って朝顔市にくるなんざ、粋じゃないよ。三ノ輪にいた頃だったら地元だったわけだからさあ。ウンそーだね。もうヨソサマの風景になっちゃってるから、ダメなんだね。」なのだ。客観視がゆえのニヒリズムが満ちてくる。結構下町というのは「ヨソモン」という感覚を浮上させるだけでなくそのいごこちのよさ・わるさを同時に持つアンビバレンツなところなのかなぁ、などとあたしはおもう。そう、荒木経惟こそアンビバレンツな人なのだ。夫を好いている妻もあの「スケベなカメラマン」としての彼の行動には少なからず嫉妬をおぼえていると別のエッセイでも書いているし、夫の方も妻に対してその点を(心ならずも)気遣っている。
でもやっぱりあなたなのだ。そして、かつて下町にいたからこそその矛盾を抱き続け、これからも抱き続けられるのか。「ヨソモン」と突き放してもなお見ているこの愛情にあたしは共感を感じたのであった。


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